[ふしけんアーカイヴス:特別取材記]

中山ミキが降りたつ大徳寺昭輝

森田 健


 私は平成8年8月8日に湯河原に行った。
 天理教の教祖、中山ミキがその体に降りると言われている伊藤青年については第二号に書いた。彼は大徳寺と名前を変えて湯河原にいる事を読者の古川さんが教えてくれた。そして8のつく日にお話が聞けるという。
 私は中山ミキになっていない状態の大徳寺さんと話をすることができた。彼は30歳を少し過ぎた年齢で体格もよい。優しそうだが歴然とした男の声だ。私は、きょうが第二号の発行日(8月8日)であることを告げ、あなたのことを書かせてもらったと言った。すると是非その本を読みたいので頂けないかと言う。私は私についての情報を前もって持ってほしくないので、悪いがあげられないと答えた。
 中山ミキが彼に降りたったとき、解決すべき問題を持っている人には的確に答えてくれると言う。その信憑性を試したくて、私は本をプレゼントしなかった。
 さて、1時の開始時刻ピッタリに大徳寺さんは、襦袢と足袋を付け、顔かたちも女性になって現れた。私は200人もいる人たちの末席にいたのだが、大徳寺さんは私の目の前に座った。そしてまったく女性の声になってしゃべり始めた。
「あんさんの中には3次元だとか4次元だとかの色々勉強なさっている方もおりますやろけども、ほんとうに喜ぶ次元というのが必要なんです。喜ぶ次元ということは何次元だとかいうことは関係なくなります。限りがない世界です。無限なんですね。無限だから決めることがない。無限だから境を作ることがない。
 人というものは形にとらわれてくると、こうかしらああかしらと形の世界にはいってくる。あたかも神様の教えを勉強すると、自分たちが信仰する神様のお名前は何かしら、名前が知りたいわ、だれか教えてちょうだいと思うてくる。しかし知らないほうが幸せです。
 神様はこう言います。我が名前はあってあるものである。あってあるものというのは、この世界ですよということですね。この世界のあらゆるものですよということです。
 あなたがたが物や形にとらわれて、神様を一つの姿やだれかに化身したような姿にどうしても考えてしまう。それがだんだんまちがってへんな信仰や宗教のようなものを作っていくんですね。
 すべてこの世の中に現れているあらゆるもの、お釈迦様にしてもまたキリストさんにしても、またワシにしても、人の姿だつたころは、その姿を通じて示したもうた神の実相があるんです。
 そやから人であることの喜びを知ること。人であることの喜びを知ると、中に生命が輝いている。あなたがたの中にも生命が光かがやいているんですよ。
 この生命はすべての次元を越えて、過去も現在も未来も行き来することができます。想いが飛ぶんですよ。想いは時を越えているんです。そやからそこの世界にはどのような難しい次元も存在しない。あるのは愛の世界です。愛の世界がわかっていれば、とらわれることがなくなってきます。
 すべてとらわれがはずれて、はじめてそこに本当の神の世界が現れます。神の世界というのはすべてのものに力を貸す世界。神は一部のものにだけに話かけたりはしません」
私は大徳寺さんに私に関する情報はまったく知らせていない。私の目の前50センチのところに来てしゃべったことも、この内容のことも、私にターゲットが向けられていたと思う。そしてこれは私が研究中の次元の事や、時間のことや、願望実現のことや、そしてサイババのことなどに対する中山ミキの見解であろう。


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