[ふしけんアーカイヴス:特別取材記]

ドクターフリッツ

森田 健

 

 


 ドクターフリッツのいるところは診療所といっても工場跡地です。
ドクターフリッツというのは、第一次大戦中の一九一五年に死んでしまったドイツの医者です。彼がブラジルのルーベンというコンピュータ技師にとりついて診療するところがリオとサンパウロにあるのです。
 一日千人近い患者をすべて治療します。手術の価値ありと判断されるとその場で切る場合もあれば、翌日手術室でオペをする場合もあります。手術の必要がない場合は注射のみとなります。
私はただ黙って患者の列に並んでいました。フリッツは私の前に来るやいなや「あなたの左手は私が手術をすれば完璧に治ります」と言いました。
 私はフリッツの手術を別に不思議だとは思っていませんでした。確かに麻酔なしでメスで切りますが、日本でも同様の実験をしたことがあるのです。
 それは名古屋の整形外科医、栄クリニックの末武院長先生です。彼が隠れた超能力者だという噂を聞きつけた私は、さっそく行ってみました。そしてあらゆるテストをしてみたのです。
 まずピンポイント麻酔がかかるかどうかのテストです。彼は私の手首に直径一ミリの円を書きました。その上から左手の小指でエネルギーを送る動作をしました。するとそのピンポイントの円の中だけ麻酔がかかって、針の先で血が出るくらい刺しても痛くないのです。

 極めつけはとうとう私の肌の一部をメスで切って整形してもらうという手術までしてもらいました。もちろん血も出ました。しかし麻酔なしで痛くはありませんでした。私は念力計(後述します)を持ち出してテストしましたが、今のところこの先生が最も強くメーターを振らせることができました。先生のクリニックに置いてある電子機器は頻繁に壊れるそうです。しかし逆に患者さんは先生の部屋に入っただけで治ってしまうという事例がたくさんあるそうです。ここにくれば従来の科学と超能力の両サイドからの治療を受けることが可能です。
 こんなこともあり、私はフィリピンにしろブラジルにしろ、麻酔なしということには驚かなくなっていたのです。
 ですのでフリッツから手術だと言われたときは「ブラジルでもまた人体実験か・・」と正直うんざりしたくらいです。
 また家族からは「今回は変な治療実験はしないんですよね」と念を押されていました。
 躊躇していると彼は
「ドキョウ!」
 と言って親指を立てました。
 ドキョウ・・いくら日本語が氾濫しているブラジルとは言え、霊的存在からこう言われては私も引き下がる訳にはいきません。
「オーケー。好きに切ってくれ」
 と答えました。
 私は手術室へ回され、そこで二十人ほどの患者さん達と一緒に待っていました。
 見ると隣の女性は泣いています。どうしたのかと言えば、フリッツの手術に選ばれたことを泣いているのです。
 そう言えばこの二十人は千人の中から選ばれたのです。選ばれた人はそれだけで完全に治るということが保証されたようなものなのだそうです。
 私に対して彼が指摘したのは、五年前の交通事故の後遺症が残っている左手です。彼は麻酔なしにメスで私の手をぐさぐさ切って、骨をコリコリと削りました。
 ところが無痛だとばかり思っていたら結構痛かったのです。そのあと普通の医者が縫い合わせをしました。一日千人の治療をするためにフリッツは縫合まではしないのです。
 血も結構出ました。終わったあと、化膿止めを飲むように指示されました。そのクスリを夜十時をまわったサンパウロで探すのは大変でした。
 彼の手術は霊的治療なので感染はしないと言われています。手術に至らない患者さんにはテンピン油とヨードチンキという変な溶液を注射をします。見ていると一人終わるごとに注射器を変えるのですが、溶液を入れ換える場所に行って驚きました。まったく消毒をしないで液を入れているのです。それをひとまとめにしてフリッツのもとに運んでいます。そこまで不衛生に徹底しているのなら、なぜ私に化膿止めを買わせるのでしょうか?
 意外に現実的な対処に少しばかり戸惑いました。
 それでも手術の結果は良好で、左手で自動販売機にコインを入れることができなかったのが、完全にできるようになりました。
ボランティアには感動しました。千人もの患者さんたちに実に親切に対応していたのです。フランスパンのサンドイッチが二度も配られ、暖かい野菜スープとジュースが配給されたのです。これで診察代も入れて十ドルは安いです。六月後半の初冬のブラジルで、しかも工場跡地という吹きさらしの場所で、この配給には嬉しくなりました。
 車椅子の患者が五十人もいました。彼らはその場でぐさぐさと切開されたりもします。頭蓋骨はドリルで穴を開けてしまいます。まるで手塚治虫のブラックジャックを思わせました。奇跡はどんどん起き、手術後、万歳と叫ぶ人もいました。すごい手術を見ていると涙さえ出てきました。
 私はフリッツとは何度か話をしました。そのときこんな質問をしました。
「噂では、あなたは世紀末にドッカーンという表現で不吉な何かが起こると言ったそうですが、本当ですか?」
「そんなことを言ったでしょうか。覚えていません。しかしそんな予言自体がマイナスなことを引き起こす原因にさえなります。未来は決して悪くありません」
「あなたは既に死んでいるわけですが、あの世の住み心地はどうですか?」
「とにかくあの世は、仕事がいっぱいできるところだよ」
 これらのやりとりで、私はすっかりフリッツのファンになりました。
 私の心はフリッツによって変えられたような気がしました。
私は好奇心から次の質問をしようと思っていました。
 「あなたは肉体を提供しているルーベンというコンピュータ技師を、二〇〇一年の六月に、本当に殺すのですか?」
 ドクターフリッツは人間にとりついてこれが四度目です。いずれもフリッツが死んだ四十二歳前後に死んでいます。みんなフリッツと同じ即死です。
 今とりつかれているルーベンも、あと二年の命だと宣告されています。
 しかしフリッツの手術にあまりに感動しすぎて、私はこの質問をすることができませんでした。
 「これでいい、これでいいんだ。好奇心だけで行動するのはもうやめよう」
 と自分に言い聞かせていました。
 メスで切断してかなづちで骨を叩いているシーンなどを見ていると、涙が出てきました。あんなリスクがある手術を、たった十ドルで誰がやるでしょうか?


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