[ふしけんアーカイヴス:特別取材記]

魂の体外離脱 モンロー研究所の報告

森田 健

その1.三次元空間の移動

 成田からJAL10便にてシカゴに入り、さらにUSエアーでピッツバークを経由してバージニア州のシャーロッツビルに到着する。そこから車で45分ほど走ったところにモンロー研究所はある。
 ロバート・A・モンロー、彼は42歳の時に体外離脱を経験し、以来79歳の寿命をまっとうするまで離脱を繰り返した。その中でヘミシンクという体外離脱誘発装置を発明し、一般の人が体外離脱を体験するための研究所を設立した。研究所には一度に25人までが寝泊まりして被験者として体験できる設備がある。
 体験コースは大きく3つに分かれている。一つはゲートウエイと言ってこれは入門コースである。次はライフラインで死者の領域に達するもの、最後は人間の肉体としての人生を経験していない純粋な生命エネルギー体との遭遇を目的としたエキスポレーション27というプログラムだ。
 私が最初に参加したゲートウエイは24名の参加者があった。男性14名、女性10名で、私以外はアメリカ人である。
 到着したその夜からセッションは始まった。ヘミシンクという脳波をコントロールする音をヘッドホンで聞きながら半覚醒状態に入る。体は眠っていて精神が起きているという状態だ。
 実験は各自のベッドで行われる。ベッドは壁の中に掘られた洞穴のようになっており、その中にはヘッドホン再生関連装置とマイクロホンがある。さらにエアコンと、色をコントロールできる照明装置がある。そして各自の洞穴はコントロールルームとつながっていた。
 約45分の実験のあと、各自がその間に起こったことを発表する。それが一日5回ほどある。
 ところが6日間のゲートウエイ中に体外離脱を成し遂げた人は誰もいなかった。23名のアメリカ人はそれぞれの思いを残して故郷へ帰った。私だけが連続して次のライフラインを受ける事になり、新たに到着した18人のメンバーと合流した。新たに到着したメンバーは過去に全員がゲートウエイを受けていた。なおかつ、これが二度目のモンロー研究所への参加だけあって、30%ほどは既にゲートウエイ中に体外離脱の経験をしている強者たちだ。国籍もニュージーランド、イギリス、オーストラリア、ベルギーと多種多様だ。
 その4日目のことだった。私は「フリーフロー25」と名付けられたセッションの、ちょうどフォーカス15という領域の音を聞かされていた。フォーカス15というのは時空の「時間」の部分を拡張するための領域のことで、無時間の経験とも呼ばれている。通常はこの領域では魂は分離されない。
 しかし、私は自分の手の肉体感覚がなくなりつつあるのに気がついた。その日は寒冷前線の通過中だったために、私は毛布を首までかぶって実験に参加していた。手は常にベッドと毛布の両方に接触しており、その感覚がさっきまではあった。私は「おかしいな」という感じで首を曲げて手を見ようとした時だった。私の魂は首から抜ける感じでベッドの上に出てしまった。
 私はベッドの上、約15センチのところに浮いていた。ゆっくりと首を回すと目の前に私の顔があった。とうとう体外離脱に成功した。私はできるだけ長く浮遊していたかった。何も考えずに、何も新しい試みに挑戦することなく、ただ浮き続けた。本当はどこかに飛んで行きたかった。しかしそれに失敗して肉体にもどるのはいやだった。
 しばらくするとコントロールルームから帰還信号が聞こえた。私はゆっくりと自分の体に戻った。結局15分は浮いていた。
 ところが戻った肉体の右半分が激痛に襲われた。右目が痛い、右頬が痛い、右歯が痛い、右顎が痛い、とにかく顔の半分が自分の顔ではないような気がした。戻り方に問題があったのだろうか?  すぐに日本の石井先生(第三号参照)に電話をかけたら、
「森田さん、エネルギー状態が死相になっていますよ。しばらくしたら遠隔で治してあげます」
 と言われた。
 私はそのまま報告会に出た。体外離脱の結果は拍手で迎えられ、続けて次の実験に入ることになった。結局その激痛は報告会では言わなかった。
 次の実験でも私は浮遊した。そして同じように肉体に戻ると、今度は痛みは無くなっていた。
 さらに次の実験でも浮遊した。そして今度は自宅への跳躍を意識した。
 次の瞬間、私は自宅にいた。妻と子供の寝顔を上から見おろしていた。
「起きてくれよ・・・」
 そう呟いたが声にはならない。妻に触ろうとしたが、その手は体を突き抜ける。
「しょうがない、フェルル(犬)に会いに行くか・・・」
 彼女はハウスで寝ていた。私がのぞき込むと彼女は目をあけた。ギロッとした目で私を見ている。しかしそれだけだった。興奮して立ち上がったりはしなかった。それでもその行為はフェルルの通常の行為だった。夜、眠いときは、私が通りかかっても、通常は目をあけるだけである。
 私は指を一本上に立てて、おすわりのサインを送った。しかし彼女は目を見開いたままだった。おすわりはしなかった。
 これはあとから実験してみた事だが、深夜に寝ている時にはおすわりはしない。よっておすわりをしなかったからといって、私がそこに存在しなかったというわけではない。  私は次に自宅の時計を見た。23時37分だった。
 これはおかしい・・。私は現地時間の10時20分からこの実験をしていた。14時間の時差があるので0時30分台でないとおかしい。私は一時間だけ過去の日本にやってきたことになる。  もう少し証拠がほしかった。私はどうしようかと思ったときに帰還信号がきてしまった。
 次のセッションからはあの世への旅立ちに入り、三次元の空間移動はこれで終わりとなった。
 私の体外離脱は本当なのだろうか?

その2.あの世の旅行

 あの世はフォーカス23という領域からフォーカス27という領域まで5つに細分化されていた。それを研究所では次のように定義している。
●フォーカス23…肉体を失ったばかりで死を認識できず受け入れられなかったり、地球の生命系に縛られて自由になれないでいる人たちが、このレベルに存在する。
●フォーカス24〜26…信念体系領域ともいう。色々な前提や概念を信じる人間達が肉体を離れるとここに来る。何らかのかたちで死後の生の存在を仮定する宗教や哲学を信じる人たちもここに来る。
●フォーカス27…自由な精神の持ち主たちがあつまる場所。ここにきて初めて次のステップに向かうことができる。レセプションセンターとか公園とか呼ばれており、受け入れるための天使などがいる。
 まずはフォーカス27に行き、自分の死んでから住む家を作るように、コントロールルームから指示された。私は緑がいっぱいの広い庭付きの素敵な家を作った。庭の向こうは海が広がっていてそこにはイルカたちが泳いでいた。私は自分の家のほかに他の人に売るための家を三軒も作ってしまった。
 さて、フォーカス27では天使達がいるという。私は自分を助けてくれる存在をイメージした。すると小人が寄ってきて私と手をつないだ。顔は見えないが、感じはスターウオーズのヨダに似ていた。頭からフードをすっぽりとかぶり、大きめのガウンは足まであった。私は彼をヨダと名付けた。
 コントロールルームより指示がきた。フォーカス23に戻り、そこにいる人たちを救えというのだ。私はヨダと一緒にフォーカス23に戻り、ある人を探した。その人の名前は野本英子。彼女は横浜港殺人事件の被害者として私の本の第二号に載っていた。強くイメージすると彼女は二人の子供を連れてすぐに出てきてくれた。彼女は言う。
「私は私を殺した野本を許すことができない。でも森田さんが直接こうしてやってきてくれたことは嬉しい。少なくとも子供達には罪はない。私たちをフォーカス27に連れて行ってくれませんか?」
 これらのやりとりは全部英語だ。研究所によれば会話はすべてロートと呼ばれるテレパシーのエネルギーボールで行われるらしいが、私がまだこの世界に慣れていないからであろうか、相変わらず英語の会話で行われてしまう。
 私は英子さんと手をつなぎ、さらにヨダが子供達と手をつないで、フォーカス27に向かって飛行した。27では私の建て売り住宅の一つをタダで彼女に与えた。日本的な感じの比較的小さな家だ。彼女はそこで子供達とお砂場遊びを始めた。その最後のシーンはとても幸せそうに見えた。
 私はこのあと、霊能者の平野さん(第一号、二号参照)に国際電話をかけた。するといきなり彼女は次のようなメッセージを伝えてきた。これは私が英子さんと会っている同じ時に、英子さんが平野さんに伝えたメッセージである。
「今、森田さんの魂と出会えた。ほんとうの意味で出会えた。今の私は前には考えられないほど落ちついている。森田さんにありがとうと伝えてほしい」
 さて、次のセッションでは井の頭バラバラ殺人事件の川村さんのもとに向かった。フォーカス27でヨダと会い、同様に川村さんを27に連れて行き、家を与えた。そして平野さんからは次のメッセージが届いた。
「僕のことを探してくれてありがとう。僕はみんなから忘れられていると思っていた。森田さんの心に感謝する。今度生まれたら、森田さんと無二の友になろうと思う。今度は僕が森田さんを助ける番だ。このことは僕の魂が忘れないよ。僕のこころはとても穏やかだ」
 セッションが終わり、こういった報告をすると、他の参加者たちは非常に興味を示す。僕にはかなりの能力があると思われはじめ、私はジェニファーという女性から、首吊り自殺した友達ベレットの魂を見つけてくれないかと依頼された。
 三回目のセッションで私はベレットを探した。写真を見ていたことと、左手にベレットのフルネームを書いた紙切れを掴んでセッションに望んだこともあり、比較的簡単に見つかった。しかし彼は27に向かって飛べなかった。なぜなら、彼の首には何とロープがまだ巻かれたままだったのだ。
 私はヨダと二人きりで27に戻った。私はヨダに聞いた。
「どうすればいいの?」
 ヨダは答えた。
「ロープのミニチュアを作って燃やせばいい。現世でのイメージは何よりもとても強い。消えたイメージを送れば彼のロープも消える」
 一回のセッションは45分である。ベレットを救えなかったので、私にはまだ時間があった。私は別に大意はなくヨダに聞いた。
「ところで君の名前は何言うの?」
「My name is kenichi(僕の名前はケンイチ)」
 そこで初めて彼は顔を上げた。そこには胎児の顔があった。
 私と妻は一度流産を経験している。妊娠6ヶ月に入ったときに流産した。
 私はその出産に立ち会ったので、私のみが彼の顔を見ていた。その胎児の顔はまるで仏像のようにやすらかだった。
 私たちは彼に健一という名前をつけ、彼のためにお葬式をした。
 その顔が目の前にあった。私は圧倒的な感情に包まれながら彼を抱いた。
 実は死者との遭遇セッションに入ってから、私は彼のことが気になっていた。おそらくフォーカス23にいると思っていた。だから英子さんを探すときも、川村さんを探すときも、ベレットを探すときも、どこかにケンイチがいるかも知れないという想いを持っていた。しかし昨日から一緒にいた小人が彼だとは夢にも思わなかった。
 彼は
「I am always with you(僕はいつもあなた達のそばにいる)」
 というフレーズに続いて
「僕はあなた達を助けるために生まれてきたんだ。こういう運命になることは初めから予定されていた」
 と言った。
彼の顔はあのとき以上にやすらかで愛に満ちていた。そのとき帰還信号がきた。
 ベッドに意識が戻ったとき、私の目からは涙が溢れていた。しばらく起きあがれなかった。目を真っ赤にして報告会に出ると、みんなが私を取り囲んで泣いてくれた。
そのあと、ジャネットと二人でティッシュで首輪を作り、それを燃やした。その日のセッションはそれで終わりだ。その晩私のベッドには、健一が一つ次元をはさんですぐとなりに一緒に寝ているように思えた。
 私は死後の世界の旅行をあまり信じてはいなかった。証明が不可能だろうと思ったからだ。しかし予期せぬこの出会いは、いくら潜在意識のなせる技かも知れないとはいえ、信じる方向に向かわせた。
 次の日は最後のあの世旅行だった。ベレットの首からは既にロープは消えていた。あとからきた平野さんのfaxでは、彼女もはさみで切るイメージを送ったという。
 それでも彼は飛べなかった。
「ベレット、わかっているのか? これは今回の私の最後のセッションだぞ。少しは気合いを入れろ」
 と私は彼に言った。
「でも飛べないものは飛べないんだ」
 私は彼を説得するためにいろいろなことを言った。その最後に
「You are everything aren't you(あなたはすべてとつながっているではないですか)」
 というフレーズを言った。
 この一言に私自身も驚いた。この言葉は私自身に対しても向けられるべき言葉だ。"I am everything!!(私はすべてとつながっている)"
 私は初めてロートというエネルギーボールを使って、この気づきの感情をベレットに送った。彼も同意した。
 私とヨダ(息子)とベレットはフォーカス27に向かって飛び上がることができた。

 ダンスパーティーとファイアーストームでモンロー研究所での最後がしめくくられた。
 私は体外離脱ができたこと、亡くなった息子に会えたこと、"I am everything!!"というフレーズに気づかせてもらったことが収穫だったと最後のスピーチで述べた。
 私が夢に出てきたという参加者は10人を越えていたと思う。死後の旅行先で私を見かけたという人さえいる。最後は泣いて別れを惜しんでくれた。
とにかく、現実では味わえない思い出を残して私は研究所を後にした。


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