人は何のために生きるのか? 449 鈴木大拙の教え


自己知とは主と客が一体となって初めて可能なのだ。これは科学者が科学的研究をしつくしてしまって実験用の道具いっさいを放下したあげく、もうこれ以上研究はどうしても続けることはできない、この上はただもう絶対の主体性の領域そのものの中に飛び込むという離れ業をやってのけるより仕方がない、と告白するときなのである。

メインコーナー
疑問文禁止 : 投稿者 もりけん : 2020/04/22 2:26:00 | コメント