鈴木大拙の教え21


師は我々の日常経験のなんでもない事実をただちに指摘して、”これはみな人々が不生を持っているためでござる。いかなる悟りもこれで、整いまする”と言う。この師の言うところを表面的に見れば、我々の感覚の領域と高次のものが、別になんら変わりないということを説いているように見える。(低次のものが高次だった(笑))

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疑問文禁止 : 投稿者 もりけん : 2024/05/06 2:50:19 | コメント