鈴木大拙の教え


絶対的主体性領域とはすなわち自己の棲家(すみか)である。”棲(す)む”というのも厳密に言えば当たらぬ。なぜかと言えば、棲むというのも自己の静止した姿のみを指摘するからである。自己とは絶えざる流動であり変化である。(すんでない(笑))

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疑問文禁止 : 投稿者 もりけん : 2024/07/21 2:05:00 | コメント